気まぐれ日記 2024年6月
2024年5月はここ
6月1日(土)「今後はスピーキングか・・・の風さん」
急遽上京することになったワイフを駅まで送った。
サラちゃんや亀と3人で留守番の私は、せっせと自分の仕事を頑張るしかない。あとダイエットだね。
とは言え、月初ルーチンがてんこもりなので、分散しておこなう。昨夜はカレンダーの更新をした。今日は、鏡と配管パイプそして空気清浄機の掃除だ。
ロボット掃除機のルーちゃんはワイフのお気に入りになっているので、私は操作しない。サラちゃんをお迎えした時、室内に毛がふわふわするだろうと、その対策で我が家の一員になったルーちゃんだが、サラちゃんは1年を通してあまり毛が抜けない。それでも、ルーちゃんの活躍は目覚ましいので、ワイフがよく利用している。
朝はホットミルク1杯だった。昼は、昨夜の残りのおにぎり2個半とお茶。この感じで、晩御飯まで突っ走った。夜は、卵かけご飯1杯と卵スープ1杯だった。たぶんダイエットになったな、今日は。
昨日完成させられなかったレジュメは午後から続きをやった。今回はA4用紙で3枚にする。昨日できたのは1枚。今日は残り2枚である。構想はできているので、ひたすら作業を続けるだけだが、あっという間にできないのは、いつものことだ。結局、夕方までかかって、事務局へ送ることができた。予定より1日遅れ。
実は来週末に講演が2つ連続する。どちらもレジュメはできた。1つ目は講演スライドがほぼ完成している。だから、明日から2つ目の講演スライドに着手する。1日ではできないだろうなあ。それなら何日かかるか。最大3日間と想定した(余裕はあまりない)。
合間合間の英語の勉強は今日も頑張った。こういったことをもう何か月も続けてきたが、思ったほど進歩していない。それは字幕付き洋画を見て確認できる。今観ているものも、本当に部分部分しか聞き取れない。吹き替えや邦画なら聞き取れるのに、ネイティブの英語になるととたんに聴覚障害者のようになってしまう。それほど、頭脳が日本語で固まっているのだろう。それなら、と。今日は、今後、スピーキングに重点を移していくことにした。話す内容を、講演だけでなく、質疑応答でも決めておくのだ。どんな質問でも、用意した回答へ誘導する。この作戦が、今となっては最後の準備だろう。
6月2日(日)「ほんとに疲れるぜ・・・の風さん」
ワイフがいないので、朝のルーチンに、亀の水槽の掃除とサラちゃんのご飯の交換が追加された。
月初ルーチンは今日で終了にしたい。ということで、朝食のホットミルクを飲んだあと、レンジフードの掃除に取り組んだ。これは本体だけでなく、ばらばらにした部品を洗浄、乾燥し、すべて再組立てするという3ステップがあり、半日ぐらいかかる。あと、6か所に設置してある消臭ビーズの補充をおこなった。
来月、大学時代の同窓会が、卒業後おそらく初めて開催される。残念ながらその日は上京できないので、今日、欠席連絡をした。
今月3回目の講演は、東京日帰り往復に決めた。それで、新幹線の切符を確保しようとしたら、早割がもうなくなっていて、通常料金になってしまった。仕方ない。コロナが明けて、人の移動が元に戻ったのだ。この傾向はリニア新幹線が開通するまで続くだろう。ただし、開通時期ははっきりしない。やはりキャメロンで上京するのが便利だ。しかし、リニア新幹線開通の前にボケによる免許証返上がくるかもしれない。もっとも、そうなったら、おいそれと上京できないのだが。
昨日今日と、ストレッチを中断して自分の仕事にまい進している。時間稼ぎでなく、体力稼ぎ。しかし、昼食を卵かけご飯1杯とお茶だけにしたせいか、午後になり疲労感がどっと出て、しばらく長男の部屋でぐったりしていた。
夕方になりやっと元気が出て、土曜日の講演スライド作りに取り掛かった。初めて作るスライドがあるので、考えながらの作業になる。
遅く、ワイフが帰宅した。東京での報告を受け、当面心配していたことが解消した。しかし、物事は、短期、中期、長期と考えなければならない。短期はよしとしても、中期、長期に関する見通しは暗い。これからもワイフに活躍してもらうしかない。そう。長女にもサポートをお願いしなければ。
いつもより遅い就寝になった。悩みは多いが、疲れていたので、何とか眠りに落ちた。
6月3日(月)「屋外はさわやか屋内は地獄・・・の風さん」
ストレッチ復活。着々とルーチンをこなす。
ホットミルクとトーストの昼食後、徒歩で投函に行ってきた。青空の下、風もなく、やや日差しの強さを感じる、さわやかな気候だ。仕事に追われていなかったら、ぜいたくな幸福感にひたれるのだが、まあ、仕方ないか。
鳴海風の名刺が底をついたので、印刷に取り掛かった。他の仕事をしながら並行してできる作業だが、こういう時に限ってトラブルだ。印字品質が最悪で、使い物にならない。2階のプリンターは1階の写真印刷も可能な状態にはしていない。つまりインクカートリッジは再生品だ。まだインク切れでないのに、これはどういうことか。あれこれ試してみたが改善しないので、どんどんインクカートリッジを予備のこれまた再生品と交換していった。印字は黒だけなのに、カラー用を全交換したらまともな品質になった。
しかし、問題は、作業中にインクが飛び散ったことで、手が汚れたのは気にならないが、床と服に付着したのは、もしかすると修復不能かも。
昨日から作成を始めたこだわりのスライド1枚がなかなかできなかった。これは今月少なくとも2回使用するので、力を入れて作り始めた。スライドの中に年表を入れるデザインで、その年表はExcelで作る。400年以上の歴史を正しいスケールで表現したかった。文字は後から挿入する。何とか完成させたが、それだけで1日が終わってしまうとは何事か! ああ、これは貧乏性の私の欠点だろう。ビジネスに向かない。儲からない。稼げない。結局、貧乏。でも、精神的には満ち足りている。だから貧乏性か(笑)。
英語の講演のため、オーラルを完璧にするのはもう無理なので、今日はある作戦を実施した。聞き取れなかった質問を聞き返す例文をAIに相談したのだ。15の例文を教えてもらえたので、このパターンを暗記しておこうと思う。とりあえず暗記に取り掛かったが、不慣れな私はそこで頓挫した。暗記法もAIに教えてもらう必要がありそうだ(笑)。
6月4日(火)「草刈り後も講演準備・・・の風さん」
昨日に続いて好天である。ルーチン後、まず徒歩で投函に行き、環境を確認後、着替えて裏の土地へ。週末のイベントは連続していて、そこではできないので、草刈りに取り掛かった。
雑草の生え具合はそれほどでもなさそうに見えたが、始めてみると、けっこう伸びている。バッテリー1個で半分しかできなかった。明日も天気は良さそうなので、法面(のりめん)に除草剤を撒いた。次回は来週以降になってしまう。
しばしベッドでダウンした後、昼食は今日もトースト1枚のみ。この程度のダイエットでは、相当日数続けないと痩せないだろう。
キャメロンからナビを外して充電し、週末に出かける目的地を書斎で入力した。この方式はいいな。
今日のスライド作成は算額の問題の解法だ。これまで何度か講演で説明したことがあるが、中途半端だった。最終的な結論までの数学的なステップは理解していても、なぜこんなに手間取ったのか、仕事のプロセスの問題点が解明できていなかった。それが、今日やっと判明した。
この問題の解法はある本の紹介がきっかけになっている。実は、このある本というのが、2種類あったのだ。本のタイトルはまったく同じである。最終的な解法にいたっているのは、この2種類のうち古い本で、ガリ版刷である。残念ながら原本の画像をネット上で発見することはできなかったが、解説はそれが元になっているから間違いないと思う。そそっかしい私らしい誤解があったのだ。
算額の問題の解法が解決したので、次のスライドに取り掛かったのだが、ここでも画像の問題が発生した。見たい画像が閲覧禁止なのである。何とか類似の画像を発見したので、それを使うことにした。
6月5日(水)「京都行き前日・・・の風さん」
歩いて投函に行った。まずまずの陽気で気持ちがよい。
講演の準備をしながら hairdye を強行した。月2回のルーチンだが、講演などの仕事の直前にやるのがベストタイミングだ。しかし、年取ると余計なことが増える。
キャメロンにナビを取り付けて、近所のGSへ走った。満タン給油しておいた。行きつけのGSでなかったので、あとで家庭内精算が必要だ(家計で使っているGSなので)。やれやれ。
ほとんどの雑務を昼過ぎまでに終えたので、達成感のあと、激しい疲労感が襲ってきた。こうなるとベッドでダウン(笑)。
夕方、復活した。
もうしばらくすると梅雨入りするだろう。我が家では湿気を心配している部屋がある。生活空間でないことや、サラちゃんの出入りを避けるため窓も開けられないので、せめて出入り口の開閉をこまめにしているのだが、押し入れの中にはワイフが除湿剤を常設している。いつもけっこう水がたまっている。
そこで、除湿機を選定して購入した。この時期に集中稼働させるので、ペルチェ方式に決めた。タンク容量も3リットルに。シーズン前で販売競争になっているらしく、割引クーポン付を選んで購入した。届いてから、1日半の稼働テストをしたところ、期待以上に水分がとれたので、目的を達成できたと思った。サラちゃんに会いに来た長女が、マンションで困っているというので、紹介したら、早速別ショップで購入した。私よりもお得な買い物になった(笑)。
明日から講演のため京都へ行くので、今夜の最後の仕事は荷造りだった。
6月6日(木)「こんな1日があってもよいのか・・・の風さん」
京都まではたいした距離ではない。それでも今日は、宿にチェックインする前に、取材の予定があった。
小説にはフィクションが多い。私の歴史小説でもそれは例外ではない。史実を徹底的に調べて、感動的な物語に仕上げるため、読者が共感できる場面を創作する。時には、実在の人物であっても、その経歴が不明な場合、もっともらしい設定をする。
児童書の『この空のずっとずっと向こう』では、主人公の祖先がよくわからず、そういった設定をしていた。ところが、その後、ご子孫の方との交流が始まって、先祖を調査するご子孫の努力で、先祖がかなり明らかになった。私のもっともらしい設定とは違っていた。
その先祖の墓と宅跡を訪ねるのが、今日の取材だった。
京都の東福寺の塔頭の一つに荘厳院(しょうごんいん)がある。主人公の先祖、有名な漢方医吉益東洞(よしますとうどう)の墓がそこにある。
ナビの目的地を東福寺に設定したため、広大な境内の南端近くにある荘厳院とは反対の北端の駐車場にキャメロンを駐車してしまった。南へ向けて歩き出したのだが、途中で東福寺交番があったので、おまわりさんに場所を確かめた。
かなり歩いて、荘厳院に着いたのだが、山門が閉まっていた。今日は見学できないのだろうか、と思っているうちに、中から人が出てきたので尋ねたら、墓参の方つまり檀家で、私が事情を話すと「住職は不在で、斜め向かいの願成寺(がんじょうじ)さんが管理しています」とのこと。そうこうしているうちに、近所の人らしい方もやって来て「願成寺さんの住職はご高齢でお体の具合も悪いから、訪ねない方がいい」と言って、二人が承認する形で、私は中へ入れてもらった。
墓地の入口近くに吉益東洞と一族の墓石が集中してあり、中にはお弟子さんの墓石もあった。香華も手向けられていて、今もしっかりお参りする人がいることを知り、感動した。
帰りに、また東福寺交番に寄って、今回の目的とそれが果たせたことを報告した。おまわりさんは吉益東洞をご存じなかったので、少しだけ解説した。
次は、吉益東洞の屋敷跡である。キャメロンで現地へ向かった。御所の南にある、かつて小学校のあった竹間(ちっかん)公園である。
市内の中心部は一方通行ばかりなので、少々手こずったが、クロネコのトラックが駐車していたので、そのうしろにキャメロンをとめて、徒歩で探したら、目的の吉益東洞宅跡の石碑を発見した。
二つの目的を果たせたので、帰宅後、ご子孫の方へ報告することができる。
今夜の宿は初めてのところで、渡月橋近くだった。駐車スペースが残っているか心配だったが、無事にキャメロンをとめることができた。
とてもお洒落な宿で、私にはぜいたく過ぎたが、ここぐらいしか空いていなかったのだ。
フロントのアドバイスで早めに晩御飯を食べに外へ出た。ところが、まだ夕方の6時だというのは、飲食店はどんどん閉まっていくところだった。止むを得ず、裏道へ入ってとぼとぼ歩いていたら、手ごろな価格のうなご屋があったので、そこで晩御飯を食べた。
帰りは散歩がてら渡月橋を往復し、保津川沿いの道を歩いて宿に戻った。この辺は何度も来ているが、まさか宿をとることになるとは思ってもいなかった。
またフロントのアドバイスで、大浴場へ行ってみたら、私ひとりで独占状態となった。
取材が成功し、分不相応の宿に泊まり、何ともぜいたくなことで、うしろめたいような気分だった。
6月7日(金)「二尊院で講演・・・の風さん」
宿の朝食はもちろん和食で、湯豆腐までついていた。この辺でいただく名物料理のような品揃えである。実際、このレストランは、宿の入口とは別に保津川に向いた入口があって、外から食べに来る人もいるのである。宿泊時に夕食も予約すると、7000円からとのこと。そんな料理を食べたら、私には天罰が下るであろう。
チェックアウトし、何度も利用している穴場のパーキングへ向かった。そこは、目的地の二尊院にきわめて近い。二尊院も無料の駐車場があるが、参拝客へ迷惑をかけてはいけないと思う私は、有料(だが安価な)パーキングにキャメロンをとめた。
二尊院の山門まで行ったら、知人とバッタリ会った。知人は、二尊院にお墓もある人で、今日の私の講演を聴きに来てくれたという。その人の声掛けで、私も二尊院内へ無料で入れてもらった。今日の講演者だからと言って、無料が当然だろうとは思っていなかったので、恐縮してしまった。
同じく知り合いの先生と一緒に、庫裏の方へ行くと、まだ受付ができていなかったが、住職さんと副住職さんがいて、早速ご挨拶させていただいた。私はお二人の顔を知っている。3年前にも来ていたからだが、私は遠慮して名刺交換はしなかった。
今日の講演は、角倉了以の顕彰会が毎年おこなっているイベントで、初めて菩提寺である二尊院が会場となったものである。
講演会場の準備を慣れている私はほとんど一人でおこなった。しかし、持参してきた資料も多く、時間はかなりかかった。そのため、講演前の墓参はできなかった。しかし、面識のある吉田光由(みつよし)直系のご子孫や、同じく初めてお会いする角倉了以直系のご子孫の方とも交流できた。
参加者がかなり集合したところで、本堂で法要が営まれた。私ごとき者まで席が与えられ、早い準備んで焼香までさせていただいた。
講演はいつものように、聴講される方が興味を持ってくださるように工夫してお話できた。講演後も会場で多くの方と交流できた。
さらに、住職さんとご子孫の方たちと一緒にお昼ご飯をごちそうになり、かなり長い時間、貴重なお話もうかがうことができた。
帰りは特に予定は入れておらず、早く帰るつもりだったが、渋滞もあって、帰宅したのは午後6時ころだった。
明日は名古屋で講演の仕事があるので、その準備をしなければならなかったが、疲れていたので、晩御飯後、しばらくソファでダウンしていた。
6月8日(土)「名古屋でありがたい講演・・・の風さん」
昨夜、これではいけないと起き出して書斎へ向かってから、休憩なしで今日のスライド作成を続けた。
ほぼ完成したのが午前9時ころで、それからシャワーを浴びて、とりあえず1時間だけ仮眠した。仮眠とは言え、ベッドではなく、長男の部屋のデッキチェアでだ。
その後、またスライド作成の続きをしたのだが、枚数が多すぎたので、導入部分を大幅に減らした。
名古屋へ出かける準備もできたので、階下へ降りたが、準備は十分でなく、あれこれやっているうちに出発時刻を過ぎてしまった。
おにぎりを2個食べて、次の電車で行くことにしていたら、教室の終わったワイフがやって来て、駅まで送ってくれるという。ラッキー。
もともと1時間以上前に着く予定を組んでいた。乗った電車あるいは前後の電車でも人身事故があると、1時間ストップしてしまう。だから、この1時間は必要なのだが、1本遅れたために余裕はなくなった。しかし、無事に名古屋に着いた。
会場まではかなり遠く、地下鉄で一駅くらいあった。到着すると担当が待ち構えていてくれて、すぐ会議中の部屋に入れてくれた。この団体とのお付き合いは長く、いつも大歓迎してくれる。ありがたい以上に申し訳ないくらいだ。
昨夜が徹夜で、今朝の仮眠は1時間だけだったのに、意外と元気で(笑)、講演はスムーズにおこなうことができた。やや難解な内容だが、聴講している人たちは全員レベルがスーパーハイなので、私の力不足を補ってくれるほどだ。そういったありがたさの中で講演できる私は幸せ者である。
講演の予定時間はやや減っていたが、今朝スライド枚数をかなり減らしたので、何とか対応できた。
懇親会場まで歩いた。こちらにもたくさんの参加者があり、講演会場で交流できなかった分をかなり補うことができた。一人ひとり感想をお尋ねしたが、よくわからなかったというのはなく、メッセージはかなりのインパクトで伝わっていたようで安心した。
帰りの電車に乗るとき、古い交通ICカードを使ってみた。10年未使用だと無効になるとネットに出ていたので、恐る恐る使ったのだが、大丈夫だった。
さすがに疲れていたし、明日も出動するので、今夜は早めに閉店した。
6月9日(日)「義父の法事で実家へ・・・の風さん」
今日は昨年の8月に亡くなった義父の法事があった。
ワイフとアクアでお寺まで向かった。空模様はやや不安定である。日曜日でもあり、渋滞もなく早めに着いた。まもなく義母を乗せた妹夫婦もやって来た。
約2時間の法事は、お寺側の心のこもったものだった。遠くから招いたお坊さんの法話も秀逸で、これだから仏教で国際戦争は起きないのは当然だと思った。この世界からキリスト教とイスラム教がなくなれば、ほとんどの戦争はなくなるのではないだろうか。
実家の近くのレストランでランチになった。その後、実家へ移動して、夕方までお菓子を食べながら歓談した。
義父の一周忌の法要は来月に予定されている。死後の心配事がないように義父は実にしっかりと準備されていた。私も真似したいと思うのだが、色々なことに追いまくられていて、それがなかなかできない。俗物であることをやめればいいのだが、未練のかたまりのような人間なので、すぐに新たな欲が生まれて、けじめがつけられない。困ったものだ。
帰宅しても疲労があって、まだ2日続いた講演の片付けすら終わらない。
とにかく明日からまた講演の準備に力を入れることにして、今夜も早めに閉店した。
6月10日(月)「書斎のエアコンが効かない・・・の風さん」
いつもの時刻に起床したが、疲労はとれていなくて、ストレッチは中止。
午前中はルーチンをこなした後、たまっているメールに返信を始めたら、あまりにもたくさんあり過ぎて(いちいち長い返信を書くものだから)、昼頃で中断。
満腹になると眠気に襲われるので、昼はトースト1枚のみ。それでも、疲労感の方が上回った。
外出していた後片付けをやりながら、とうとうダウン。と言っても、長男の部屋のデッキチェアでうたたねだ。
長男の部屋によく行っているのにはいくつか理由があるが、今日から新たに大きな理由が一つ追加された。昨年修理してもらったエアコンがまた効かないのである。通算3度目の冷媒漏れである(たぶん)。1回目は保証期間内だった。2回目はわずかに保証期間を外れていて、特別な処置をしてもらって、部品交換した。何とか10年くらいもってほしかったのだが、6年では早すぎる。
当然、いつものように、DIY病が出てくる。YouTubeを見れば冷媒充填の先行例がわかるので、見てみたら、技術的には十分やれることがわかった。しかし、真空ポンプと冷媒を用意するだけで数万円かかる。漏れの根本解決ではないから、一時しのぎにはちょっと〜ということだ。
そんなこんなで、夕方まで冷房の効いた長男の部屋でダウンして、やっとよみがえったが、その後、元気はいつまでも続かなかった。
6月11日(火)「疲労がまだとれず・・・の風さん」
今日こそはと起床。ストレッチは今日も中止。
ルーチン後、キャメロンで外出した。ATMで通帳記入したあと、ドラッグストアでまとめ買いをして帰宅した。
旅行の後片付けを少ししてから、トースト1枚の昼食を摂ったが、また疲労感が襲ってきた。な、なんで?
また、長男の部屋へ避難。体を休めながら、今後の作戦をたらたらと考える。休むだけでなく、ここでも仕事をするべきだという結論になった。
もともと長男の部屋にもデスクトップPC一式は設置してある。初代執筆マシンだ。2代目と3代目が書斎にあるから、保険の保険として設置してあった。
電源を入れるだけですべて立ち上がった。問題は、OSが古いということだ。ちょっと操作してみたら、ブラウザなどが正常に動作しないとお節介なメッセージを出してくる。カスタマーファーストをうたいながら、何のことはない、買い替えを勧めているわけで、単なるビジネス戦略である。
しかし、まったく使えないわけではないので、明日から、この部屋でも仕事することにした。
それにしても、先週の木曜日から4日連続で動き回ったことは、やはりボケ老人にはきつかったようだ。
6月12日(水)「気合の1日・・・の風さん」
気合を入れて、ストレッチは半分だけ復活。さあ、今日もやることがいっぱいあるぞ。
まずルーチンから。2日分の日記をアップして、やっと追いついた。続いて、たまった名刺の整理。スキャナーで読み込んでデータ化したあと、名刺フォルダーに保管した。近年は過去分を廃棄してスペースを空けながらになる。10年くらい前にもらった名刺を捨てるので、ああこんなことがあったなとしんみりする。
来月、ワイフのトールの作品が名古屋のコンベンションでボランティア出品される。作品がやや大きく、台車が必要だというので、私も使えるような折り畳み式の台車を選定して発注した。キャスターのタイヤも収納されるので、キャメロンにも積み込める。そういった外回りでのニーズがなくなった後も、ゴミ出しの袋を摘んで集積場へ持っていけるので、最後はそれかな。しかし、その時まで耐久性があるかはわからないが。
書斎のエアコンが使えないので、窓を全開にし、60年くらい前から使っている扇風機でガマンしながら作業をした。今日は気温はそれほどでもないが、湿度が高い。先日購入した除湿機は階下でフル稼働中だ。
休憩はエアコンの効いた長男の部屋でとりながら、午後も、気合で作業を続けた。
10日後の講演のスライド作成に取り掛かった。全体構想はだいたいできているので、まず、過去の講演スライドから必要なものを収集した。完全に作業だが、これができれば、あとはリファインしていくだけだ。収集にやや時間はかかったものの、ちょっと気持ちが楽になった。
夕方、ワイフが実家から帰って来た。姉妹で義母を1週間交代で慰問している。私の場合は今から13年くらい前、福島まで、毎月、特別介護休暇を取得して通った。それだけのことができたのは、良い会社に勤務していたからだ。ワイフの場合は、同じ県内に住んでいる母親のところへ行くので、しかも姉妹で交代しながら毎週行けているわけだ。今日は、昨年亡くなった義父の遺品整理もしてきたという。
昨年から準備してきた英語の講演のスライドの作成もした。だいたいできているのだが、残り日数が少なくなって方針を修正したので、それに合わせて再リファインしていく。基本は、質疑応答の準備に注力である。
6月13日(木)「大昔の研究者みたいな生き方・・・の風さん」
新刊を出せない状態が数年間も続いている。仕事がないわけでもないし、書くネタがないわけでもない。自然の成り行き、老化(ほとんど体力の低下)が主原因だ。
それはそれで抵抗していくけれども、他にもやることがある。絶版かあるいはそれに近い状態に近い本を、電子書籍としてよみがえらせることだ。昨年は絶版だった『和算忠臣蔵』、今年は絶版に近かった『星に惹かれた男たち』を、それぞれ電子書籍としてよみがえらせることができた。
幸運にも、新たに復刊の予定が決まった本がある。昨年から活動してきたことで、周囲のサポートもあって、ここまでたどり着けた。紙の本と電子書籍の両方で復刊されるので、しっかり仕事をして、完成させたい。
午後から英語の講演の準備を始めたが、ちょっとした邪魔も入って、急遽DIYもおこなった。自称「歩く〇〇屋さん」である。〇〇の中には、専門分野以外が入るが、たとえば電気とか水道とか、たいてい何でもできる。
現役時代、若いころからすぐ部下を持たされたので、何度も経験があるが、工学部出身なのに、技術が未熟な部下がよくいた。大学を卒業するまでしっかり勉強してこなかったのが原因だ。私がプロ作家としてデビューしたあとは、社内でも公知のことになったので、技術不足の部下に「こんなことを小説家に指摘されていいの?」と冗談を飛ばしながら指導したものだ。専門ではなかったが、ITの導入など、社内でもきわめて早かった。
それでも、プロジェクトリーダーとしての仕事が大半を占めたので、技術が自慢の他部署のメンバーからは「あんたはブローカーみたいなものだ」と揶揄されて悔しい思いもした。それを払拭するため、55歳で役職(管理職)定年となった後は、個人的に色々な技術を開発した(自慢できるほどハイレベルではないが)。ポイントはすべて自分で設計図面を引いて、実験もして、実用化したことだ。そう。会社員時代もDIYみたいなことはやっていたのだ。基本的な技術は、すべて大学時代に学んだことだった。基本ができていれば、応用はたいてい可能なのだ。ITも同様で、長年管理職だった私が部下よりもPCを使いこなしているのを不思議がる人もいた。
社会人になるまで、現代で言えば引きこもり状態だった私は、べらぼうに時間はかかったが、ずっと独学で勉強していた。家から外へ出て遊んだ記憶はきわめて少ない。
その大昔の研究者のような生き方がこんにちの私につながっている。おそらくこのまま、外ではほとんど遊ばないで一生を終えるのだろう。
6月14日(金)「金遣いが荒いのは母の遺伝?・・・の風さん」
入梅はまだだが、湿度が高くなっていて、除湿機は既に24時間稼働、今日はDC扇風機を出した。省エネでエアコンと一緒に使うために購入したものだが、書斎でも使う必要がありそうだ。あとで新型を確認してみよう。
午後、ワイフの台車が届いた。今回は、クルマに積んでいけるように、キャスター(車輪)も収納できるタイプにした。これだと、コンパクトだし、クルマが汚れにくいというメリットがある。キャメロンにも積めそうだ。開梱して、組み立てと折り畳みを繰り返した。けっこう力を必要とする。150kg積載可能タイプなので、頑丈にできているとも言える。これが活躍するのは来月の名古屋で、私がワイフの作品を搬入そして搬出するときに使用する。
おそらく母の遺伝だろうが、買い物をしていると楽しいしストレス発散になる(笑)。しかし、この行為は際限がなくて、お金がいくらあっても足りない。母は昔、月賦という方法を使って最新の電気製品や家具を購入していた。現代ならリボルビングみたいな方式だ。今とつぜん母がよみがえって若い女性として活動を始めたら、きっとこんな買い物の仕方をするのだろう。二人の娘に遺伝していないか不安ではある。
午後は英語の講演スライドの作成に集中した。気合が入って、出来は向上しているが(リファインしている形なので)、時間がかかっている。明日はもっとペースを上げる。
6月15日(土)「雨が降る前に・・・の風さん」
なんと6時前にメルカリ出品が売れていた。今年はほとんど出品していないのだが、昨年以前に出品したものがたまに売れる。
今日の地元の天気予報をチェックすると(スマホアプリ3つを比較して考察する)、日中に最高気温は名古屋より5℃くらい低いのはいつものようにありがたいが、夕方から小雨が降りそうなのは問題だった。雨が降ると草が濡れてしまうので、しばらく草刈りができなくなる。裏の土地を書斎から眺めて、今日中にやるべきと判断した。
朝食はミックスジュース1杯。その間に、メルカリの梱包をした。コンビニ振り込みの同窓会費もあるので、それも準備しておいた。
気温が低いうちに、と裏の土地へ出動。今年初めてネックファンを装着した。あと蚊取り線香を腰にぶらさげればフル装備となる(笑)。草刈りの途中でワイフが出かけた。まったく遠出しなくても年間1万kmくらい走行するのは、こういった外出が多いからだ。活動家なので、私は全面的に支援しているのだが、今年新車に買い替えることができなかった。2年後は、今年よりかなり大きな出費になるので、反対されるかもしれない。
雨が予想されている時は除草剤の散布はできない。雑草に付着させて根まで届いて枯れさせるタイプなので(つまり土にはまったく関係ない)、雨に降られると流れてしまう。土に沁み込んでも捨てたのと同じだ。
今度は私がキャメロンで外出。コンビニでメルカリ品を発送し、同窓会費を支払った。続けて、GSへ行き、プリカを購入して満タン給油した。こうやって購入すると、この付近ではほぼ最安値となる。先日の高速道では、SAのGSがレギュラー190円/L だったから、それに比べたら千円以上安い。おっと比較が極端すぎた。
昼食はトースト1枚。月2回のサンスベリアへの栄養と水の補給はちゃんとやった。サラちゃんが甘えてくればおやつを与えるのはもちろんだ。
午前中に頑張ったので、英語の講演の準備に集中できる状態になった。
日没後、小雨が降り出した。
6月16日(日)「書斎の空冷作戦・・・の風さん」
最近日曜日に休むストレッチを今日はフルメニューでやってみた。気合が入っている証拠だろう。
ジュースの朝食後、今日は、冷風扇を出した。水の気化熱を利用するもので、以前階下の洗面所で使っていたものだ。これを書斎の自席のすぐ横に置いた。確かに室温より低い風が出る。
ルーチンをさっさと終えて、来週の講演の準備を少しやって、小休憩後、英語の講演の準備を再開した。
幸い午前中はあまり気温が上がらず、書斎内で普通に仕事ができた。
ところが、午後になって、徐々に気温が上がり始めた。冷風扇だけでなく、まるで屋外作業のようにネックファンも装着したが、ちょっとやばそうな雰囲気になってきた。午後の小休憩は長男の部屋に避難し、そこでできる来週の講演の準備などをした。
階下へ行くと、室内の気温が30℃に近付いていた。それでも書斎よりは断然低い。サラちゃんがサンルームで寝そべっているので、充電式のファンを持ってきて、室内の空気をサンルームへ送り込むようにした。
夕方、急遽追加発注したDCモータの扇風機が届いた。昨年購入したものの改良型である。すぐに書斎に設置した。これで冷風扇、ネックファンとともに、エアコンが使えない書斎の緊急対策が強化された。あと、おまけだが、元々デスクの上にはUSBファンもある(笑)。
晩御飯までに、英語のスライド10枚のリファインが完了した。これは今日の最低目標だった。
発音練習は日課として続けている。かなり口は動くようになったと思う。昨年9月以来の努力の成果だ。
6月17日(月)「儲からない奴・・・の風さん」
午前中に某団体から電話があり、企業支援が話題だったが、楽しく話ができた。やはり私はビジネスに興味があってそういった話が好きなのだろう。MBAを取得して良かった。でも、自分のビジネスに反映できないのは力不足で、知識だけあってもだめなものはだめ、逆に、センスを持っていれば(私はそれを天才と呼んでいる。実際に、そういう人に会ったこともあるし)事業家として成功する。
週末の講演のためのレジュメ作成に取り掛かった。過去例などを使いながらすぐ完成させられると思ったらとんでもない、やはり今回は今回の特殊性があって、力がこもる(だから仕事がのろいのだが)。昼近くなってしまったので、今日は半分でやめておいた(笑)。
英語の発音練習も日課である。それが午後になってしまった。また時間がかかってしまった。もう、何をやってものろい。呆れるばかり。
やっと英語の講演スライド作成の続きに着手。今日はあまり気温が上がらないので助かる。今夜から明日にかけてかなり雨は降るらしい。いよいよ梅雨明けかもしれない。
夕方、ワイフが墓参に行こうと言ってきた。父の月命日だ。明日は母の月命日。雨が降り出しそうなので、急いで出動。心月斎の墓地に行ったら、ご近所さんの墓に新しい卒塔婆があることに気付いた。墓碑銘を見たら、昨年の3月に亡くなっている。今年一周忌があったのだ。いつも供花にばかり目が行っていたが、卒塔婆にも変化は起きる。うちは私の方針で、これまでの卒塔婆はすべてたてかけたままだ。にぎやかななのが好きだから。
英語の講演スライドの作成が、予定よりかなり遅れている。あらためて講演時間を確認したら、質疑合わせて持ち時間は1時間半なので、思い切って10枚くらい減らすことにした。これで、今夜の徹夜は回避だな。やれやれ、困った性格だ。また徹夜で挽回しようとしていた。これだから儲からない。そうそう。メルカリ出品が先方へ届いて売買が完了した。今回の純利益は90円。
6月18日(火)「ストレス発散?・・・の風さん」
昨夜からの雨模様が続いている。ときどき降りが強くなる。全国的にあちこちで豪雨になっている。この時期はうっとうしい降り方をするのが普通で、亜熱帯地方のようになった日本はもう違う。豪雨ではなくスコールといったものが急増しているのだろう。
週末の講演のレジュメ作成に取り組んだ。昨日1ページ目ができて、今日は2ページ目。順調に仕上げることができた。今夜まで寝かせておいて(笑)、事務局へPDFにして送る。明日からは、本番用の講演スライドのリファインになる。来週は英語の講演なのだが、その前にも一つ大物があるわけで、こんな(集中した)忙しさは現役をリタイアした1年目以来だ。
毎日死に物狂いで仕事をしているが、実はとても楽しい。しかし、楽しんでいられるのはいつまでか。心身のバランスが崩れなければ大丈夫で、そのためには気合だけではだめだ。ストレス発散も必要。そうなると母の遺伝で買い物となる(笑)。メールチェックしていたら、たまたまサングラスの宣伝が浮かび上がった。偏光レンズだったので食指が動いた。
初めてサングラスを買ったのは、浪人している時で、ハードコンタクトを使い始めたからだった。自転車で突っ走ると目にごみが入ってひどい目に遭った。そこでサングラス。偏光レンズで高価だったが、見え方が新鮮だった。その時の経験をまたしたくなった。今回のはメガネの上からかけられるタイプだ。が、値段が高い! そこで、ネット検索。あちこちサーフィンして行ったら、ほぼ半額で買えるショップが見つかった。
今年はこれからまだかなりキャメロンで走るので、炎天下の運転用にするつもりだ。
英語の講演スライドのリファインは、今夜もゴールに届かなかった。
6月19日(水)「除湿機の性能に驚嘆・・・の風さん」
設置した除湿機がちょうど1週間経過した。容量3Lのタンクにほぼ満タンになった。静粛モードでこれだけとれるとは思わなかった。ペルチェ方式(原理は200年も前に発見された)のおかげだろうが、期待をはるかに超える能力だ。午後、追加発注した1台が届くので、それは2階用にする。閉めきることが多い長男の部屋用だな。とにかく、これで今年の梅雨の除湿はエアコンと除湿剤だけに頼る必要はなくなったわけだ。
天気予報をチェックすると、今日と明日は雨が降らない。チャンスなので、午前中の休憩時間に、家の周囲に除草剤を散布してきた。作業は15分で完了した。これで、月末まで緊急を要する屋外作業はない(復活する作業は剪定からだろうな)。
午前中で、日曜日の講演スライドのリファインが終わらなかった。英語の講演スライドの方が重要なので、午後からはそちらへシフト。
自分だけの世界に閉じこもっているような生活だが、昔と違うのはメールがじゃんじゃん来ることだ(笑)。それにより、新たな仕事が発生する。今日もいくつかそういうことがあったが、必死に対応した。それらの中に、また買い物があって、ストレス発散もかねて発注してしまった(笑)。
晩御飯までに英語の講演スライドのリファインが完了した。こんなに時間がかかるとは思わなかった。同時に講演で話す原稿も作った。明日からは本番を想定して、さらなる改善をしていく。改善と言うと聞こえはいいが、オーラルの能力不足を補うための工夫である。
6月20日(木)「苦肉の策・・・の風さん」
予報通り今日は雨は降らない。これは除草効果が期待できるので、ひと安心。ありがたいのは、日中の最高気温が高くないことだ。おそらく日射がきつくないのだろう。これも、書斎にこもって仕事をしている私には助かる。
やや遅くなったが、午後1時までに日曜日の講演スライドがほぼ完成した。明日、MacBookAirに移して再調整すれば準備は完了するので、メドがついたと言える。
午後2時から英語の講演の準備の次の段階に入った。昨日考えた苦肉の策だ。すべての講演原稿(英文)を記憶するのは無理なので、講演スライドを工夫することにした。講演原稿と単語や言い回しを統一することは当然として、次のがアイデアだ。しゃべる文句が出やすいように、講演スライドの中にキーワードを小さな文字で表示させる。うまくしゃべれたら、次のセリフで消えるように仕掛けておくのだ。どうせすぐばれるので、最初に断っておこうと思う(笑)。
日本語ならほぼ100%内容を理解しているので、原稿は作らないし、実際の講演で失敗する経験もほとんどない。今回の英語の講演スライドも同様だ。しかし、その内容をいきなり英語で言えないところに問題がある。だからと言って英語の原稿を作っておいても、それがすぐ口をついて出てこないことはこれまでの経験で痛いほどわかっている。
だから、今回の苦肉の策となる。
6月21日(金)「また徹夜かよ・・・の風さん」
日曜日の講演の準備を先に終えるため、午前中がんばった。MacBookAirの中での調整に意外と時間がかかって、最後に、新しいスライドで文字化けまで出たので、執筆マシンで画像に変換して作り直した。執筆マシンにはフォントがたくさん入っているので、特殊文字ではこういうことが起きる。スティーブ・ジョブスも苦笑しているだろう。カリグラフィに感動したジョブスだ。今回の文字も、私がカリグラフィで作った飾り文字だった(笑)。
急遽、外出して買い物をしてきた。これも日曜日に必要なものだった。
午後から、英語の講演の準備を再開した。これがなかなかスムーズに進まない。理由はきっと私のこだわりだろうと思う。しかし、とにかく今日中に完成させなければ、この先が苦しくなるだけだ。
幸い今日も気温はあまり上がらない。
いつも感じることだが、仕事はのろくても集中力は切れない。現役時代からそうだが、ピンチの時ほど夢中になれるし、笑顔は減らない(アホか)。きっと性格的にこういうのが好きなのだろう。とにかく、今回の英語の講演は人生で最後のチャンスだと思っている。チャンスの意味には、過去の失敗のリベンジもある。どこまでやれるかは終わるまでわからないが、その時点まで全力を尽くせることは幸せだ。
夜もしんしんと更けてきて、恐れていた事態になった。英語の講演スライドの改良が終わらない。
徹夜態勢に入った。
6月22日(土)「今ごろボケ?・・・の風さん」
午前4時までがんばったが、目標のゴールに届かなかった。しかし、その間に hairdye を強行したので、成果がなかったわけではない。
午前5時にベッドに倒れ込んで、起床は9時半。気持ちが焦っているので、おちおち寝ていられない(笑)。
昼までに、明日の講演・上京の準備を終えた。事務局が「販売しますよ」と言ってくれているので、キャリーバッグに本を詰めた。明日は新幹線での往復になるので、ここに入るだけ。冊数は少なくても、バッグはすげえ重たくなった。1冊1冊にこめた想いの重さだから手応えだと思うことにしよう。
昼から、昨日・・・じゃなかった今朝の続き。疲労と睡眠不足で、休み休みだ。夕方までにゴールにたどり着いた。
晩御飯まで昨日できなかった発音の練習をしたが、1日休んだだけで、もう口が動かない。恐ろしいことだ。しかし、英語の講演に必要なものの要素の中では、難易度の低いものだ。毎日やっていれば何とかなる類いだし、英語を話す人は世界中に少なくとも15億人はいるらしい。私はその中に入っていない。入れない(涙)。
英語の講演スライドのリファインを少ししてから就寝モードに入った。眠りに落ちる前に、これからの日程スケジュールを再確認していたら、信じられないことに、英語の講演の日を1日間違えていた(頭の中というかイメージで)。やはり私はボケ老人だ。結果は恐怖で、準備する日が1日減ってしまった。
6月23日(日)「超多忙の良い影響?・・・の風さん」
今日はとんぼ返りだが上京する。気になっていたのは天気だった。数日前から東京の予報は雨。ああ、また東京雨男か。けっこう歩く距離があるのに。しかし、24時間ずっと雨ではないはずで、せめて歩く時だけでも小雨になってほしい。
出発前にルーチンはほぼ終えた。
さあ、これからは今日の講演・・・ではなくて、水曜日にせまった英語の講演だ。明日が本番だという気持ちで過ごさなければならない。
駅までワイフに送ってもらった。電車に乗ってから、昨日までにできたスピーチ原稿のリファインに取り組んだ。チェックしながら修正もするし、話すときの強勢(ストレス)の置き方、よどみなくしゃべるべきフレーズなどをマーキングしていく。
あっという間に名古屋に着いた。昼食のパンを買ってから新幹線ホームへ。
新幹線の中でも、同じ作業が続く。遊んでいる余裕はない。たまに窓から外を眺めると、曇り空でも雨は降っていない。このまま行け、と念じる。
東京に着いても、作業はやっと半分を過ぎたところだった。
ずっと雨は降っていなかったが、講演会場まで歩くとき小雨が降り出した。
ほとんどいきなり本番だったが、講演はうまくいった。これまででも最高の出来。こんなに超多忙の中で、しかも直前に復習すらしていないのに、思った通りに講演できたのは、この講演が続いている状況がよかったのかもしれない。英語の講演への期待感もふくらんできた。
懇親会にも出席した。お世話になった方たちからの評判も上々で、恩返しできたとうれしかった。
帰りの車中はむろん行きの続きで、ゴールに到達したのは、ローカル線に乗ってからだった。原稿の多さも新たな課題として浮かび上がった。
帰宅したのは午後10時で、ワイフへの報告も少ししかできなかった。地元は強い雨が降っていた。
6月24日(月)「これからレジュメ?・・・の風さん」
講演スライドにリマンダーとして、次のセリフの冒頭部分を表示させるのが出発前の最低限の目標だった。
昨日リファインしたスピーチ原稿を見ながら、スライドとの整合性も向上させながら、この目標へ向けて作業を続けていったが、途方もない時間がかかりそうだった。
スピーチ原稿もどんどん修正されるので、最終状態の印刷もいつになるか予想がつかなかった。
そんな状態だったので、今日はキャメロンの洗車予定だったが、早々と断念した。
こうしてやっとスピーチ原稿の印刷も開始させ、講演スライドをMacBookAirに入れて、文字化けなどないかの確認段階に入ったのは午前0時近かった。
これでとりあえず準備が終わったと思ったらそんなことはなく、実は、レジュメを作っていなかったことに夕方、気付いていた。
日本語の慣れた講演でも何らかのレジュメは毎回作っている。英語の講演となると、日本語ほどしっかり意思が伝えられるはずはなく、それを補うためのレジュメは必須だった。
しかし、もう時間がない。もし作るなら最小限だ。A4で2枚の案を考えた。これなら既存の資料を合成させて出来そうだと思った案である。午前0時過ぎからその作業に取り掛かった。
ワイフが心配しているのは気配でわかったが、何も言ってこないのは「そっとしておこう」と思っているのに違いない。
6月25日(火)「2日連続?・・・の風さん」
レジュメを作り上げ、お世話してもらっている先生へ遠慮がちに送り、シャワーを浴びて横になったのは午前5時だった。
このまま(寝たまま)あの世へ行ったら、皆から笑われるだけでなく、軽蔑されたかもしれない。
しかし、ゾンビのように午前8時半に体を起こした。この時点で出発予定時刻は1時間延期となっていた。
すぐにワイフから声をかけられた。「明日、新幹線で行くことにしたの?」まさか。公共交通機関では、何が起こるかわからない(この辺の感覚は、普通の人とは違う)。前泊で入らないと安心できないから、たとえ公共交通機関にするにしても、今日中に行かねばならない。
当初より1時間遅い出発時刻9時半になった。「洗車ぐらいしていったら?」というワイフのアドバイスも採用して、近所のGSで自動洗車もしたので、さらに出発が15分遅れた。
疲労と寝不足ですぐにダウンするかと思ったら、ゾンビにそんな心配はないみたいで、元気はつらつ、キャメロンで突っ走った。
ほぼ完成しているスライドとスピーチ原稿を使って、最後まで通しでチェックするのが、今日の目標だ。
運転中はそんなことはできない。ピットインした場所でやるしかない。東京に入るまでに3回これをやったが、1か所で1時間もかける余裕はなかった。そもそも出発時刻が遅れている。
今夜は知人と久しぶりに会う約束もしていた。
以前も同じことをしたのだが、ホテルで知人と会い、近くの飲み屋へ行った。
実は、ホテルの駐車場が満車で、遠くにある契約駐車場まで往復しなければならなかった。時間ロスが大きかった。
9時半で知人と別れ、ホテルに戻ったが、今日の作業はまだ半分近く残っていた。
結局、就寝したのは午前4時頃だった。
2日連続の半徹夜になってしまった。
6月26日(水)「オールブラックスも来ていたぜ・・・の風さん」
午前7時半起床。睡眠時間は約3時間半。こんなはずではなかった。これからたとえ起きていられても、さまざまな場面で判断力が鈍る恐れが高かった。しかし、すでにその判断力は低下していたのだが、自覚できていなかった。
目的地までは約1時間かかるので、なるべく早く出発する必要がある。
朝食後、9時にチェックアウトし、ロビーでリハーサルをすることにした。1時間では半分しかできなかった。
10時半にホテルを出発したが、駐車場からキャメロンで出発したのは10時45分だった。
目的地までやや遠回りになるが、ほとんど有料道路のルートを選択した。ところが、途中で工事の渋滞があり、一般道を通った場合と時間的には差がなかった。
今夜のホテルの位置を確認したのち、近くのコンビニで、リハーサルの続きをやった。
これで、講演スライドとスピーチ原稿の最終版が確定した。
あとでわかったのだが、この時、頭脳が冴えていて、さらにリスクマネジメントの手を打っていれば、もっと安心だったろう。そこまで頭は回転しなかった。
講演場所の研究所に着いてからは、着々と準備を進めた。Zoomでの配信を含めたハイブリッド講演なのだが、これが判明した時点で、やはりリスクマネジメントの手を打つ必要があったのだが、これもあとでわかったことだ。
約10年ぶりのリベンジ(過去失敗していた英語での講演の再チャレンジ)はまた目標を達成できなかった。
自分の実力と目標のギャップが大きすぎたのだ。しかし、これもあとでわかったことなのだが(たとえ寝不足でなかったとしても、目標レベルには遠かったと思う)。
懇親会があり、同席してくださった先生方へ必死にサービスすることで、埋められなかったギャップを少しでも埋めようとしたが、どこまで埋められたか自信はない。
今夜のホテルには有名なニュージーランドのラグビーチームも泊まっていた。ホテル前でイベントもやっていて盛り上がっていた。きっとハカも見せてくれたと思う。
フロントで勧められた大浴場へ行く時、エレベータで選手の一人と一緒になった。2メートル以上の身長がありそうだった。
部屋に戻って、何も考えられなくなっていた私は、ベッドに倒れ込むしかなかった。すべての反省は明日になってからだ。
6月27日(木)「反省から発見へ・・・の風さん」
未明に目が覚めた。眠りながらも、昨日の講演の反省をしていたらしい。思い付いたことがあった。
よろよろとベッドから起き出して、窓際のデスクへ向かった。このホテルの部屋はとても広く、デスクも横に長くて、事務作業しやすい。PC操作などバッチリできる。
今さら失敗は取り戻せないが、こうやったらできたのではないかということに気付いた。もし出来れば、反省ではないかもしれないが、一つの知見というかスキルが得られることになる。今後、使えるかどうかも、また話は別だ。
今回、スピーチ原稿はしっかり作れたと思っている。それを手に取って読み上げたら、少なくとも伝えたいことは伝えられたはずだ。そして、スピーチ原稿と完全に連携したスライドも出来ていた(日本語でおこなう講演スライドとはかなり違う)。
そう。聴講者の前に立って話すのではなく、講演台に置いたPC画面を見ながら話せば、準備したものはすべて使えたはずだ。マウスはなかったが、ポインター代わりにカーソルを使うのだ。スピーチ原稿とほぼ同じものが、メモに書き込んであった(ただし、日本語原稿と並べてあったので、それらは消しておけばいい)。
スクリーンに映し出すのは講演スライドのみ、手元のPCにはスピーチ原稿も読めるように表示させておく。こういうやり方は、これまでやったことはないが、確かできるはずだと寝ながら思い出したのだ。
MacBookAirに向かって、そういう設定ができるか(Microsoftのサポートページの解説を読みながら)やってみた。
できた! しかも、メモが出ているウィンドウを大きくできるだけでなく、フォントまで大きくできた。
この状態でハイブリッド講演ができるかまではわからなかった(昨日は私がホストになってZOOM講演をした形だった)。リモートで聴講している方にもスクリーンと同じ画面だけが出ているのならOKである。昨日はIT機器の専任者も来てくれていたので、相談すれば解決していたはずだ。
ZOOMやMSTeamsでのセミナーや講演は年内に予定されている。そこでこの方法を使えば、これまでよりずっと楽にできるかもしれない。スピーチ原稿ではなく、重要事項のみメモしておき、言い忘れ防止になるからだ。
ボケ老人を自認しつつも、知的作業をサポートするのはITだと確信している。昨日の失敗から、ITの使い方が少し向上したとすれば、後悔はほんの少しやわらぐ。
そういったことを確認できて、安心できたので、シャワーを浴び、朝食を摂りにレストランへ向かった。
期待していたオールブラックスの選手たちの姿はなかったが、次の反省材料を発見するために、健全な食欲がわいた。
ゆっくりチェックアウトし、家路についた。
帰宅は午後7時。里帰りしていた長女も含めて近くのうどん屋へ晩御飯を食べに行った。
長女は用事があって帰るというので、駅まで送って行った。
午前零時に眠りに落ち、いつもの生活に復帰した。
6月28日(金)「睡眠も大切だった・・・の風さん」
ほぼ日常の時刻に起床したので、早くも元に戻ったのかと思ったが、実はそうでなかった。
片付けも少ししながらルーチンをこなした時点までは良かったが、その後、激しく失速。昼食後、早くも横になった。
全国的に激しい雨が降っている中、当地も、ときおり強い雨が降った。当然気温は低く、体調さえ問題なければ、エアコンが故障している書斎でも仕事はできたろう。残念だ、と思いつつも、起きられなかった。
夕方までそんな状態が続いて、やっと起き出したら、元気が出てきた。疲労がとれたという元気ではなく、数日ぶりの頭スッキリ感だった。何となく、頭が回転しそうな雰囲気があった(笑)。ということは、ここ数日、頭には靄がかかっていて、ただ気合と根性だけで、チャレンジを乗り切って(否、乗り切ろうとして)来たのかとふと思った。
新たな反省材料が見つかった気がした。大リーグで活躍している大谷選手の様子はいつも注目しているが、彼は睡眠をとても大切にしている。激しい運動量なので当然かと思っていたが、最高のパフォーマンスを出すときは、肉体と頭脳がうまく連携しているはずで、睡眠は頭脳の働きにも効果があるから、彼は睡眠を大切にしているのだろう。
出発してからも現地ですさまじい準備だった。限界を超えていたのだ、きっと。重要な局面をこなすには、ボケ老人にも睡眠が必要だったのだ。
長男の部屋で仕事ができるように、少し整備した。
これから気温が上昇する日中はそこで仕事しよう。
6月29日(土)「月末締め切り仕事が2つ・・・の風さん」
通常より30分遅い起床になったが、昨日の反省からすれば、これでいいのかも。
と思ったが、ルーチンを終えたあと、また疲労感をおぼえた。少し片づけものでごまかした。
昼食をしっかり摂って、午後は長男の部屋へ。
明日までにやることが2つあった。これまでできなかったのは、英語の講演の準備に集中していたからだ。
それら2つとは、ゲラ校正と原稿執筆である。
長く絶版になっていた『怒濤逆巻くも』がラッキーにも復刊する。文庫版の方だ(単行本の4分の3くらいに短縮されている)データを持っていたので、出版社へ送ったら、早くもゲラが届いていた。PDFである。2日間でやりきるのは、経験上かなりしんどいと思う。修正が少ないとしても、すべて読むだけでかなりの時間がかかる。
PDFのゲラをすべて印刷するのももったいないので、PDFのままで校正をやりたい。幸い、長男の部屋に置いてあるデスクトップには昔のアクロバット(年間契約でないやつ)が入っている。それでやることにした。
ところが、長男の部屋に置いてあった液晶モニター(元々中古で購入したもの)が壊れていたので、執筆マシンとつないでいる1台と取り換えることにした。
始めてみたら、久しぶりに読む『怒濤逆巻くも』は新鮮だった。20年前の記憶が少しずつよみがえってくる。現役で仕事をしながら機会あるごとに取材を続け、数年かけて書き上げた作品だ。当時の編集長の激励がかなり力になった。
大きな修正はもちろんしないが、長く残りそうな復刊になるので(電子書籍も同時に出る)、そういう視点で校正していくことにした。
何とか夜半分終わったので、原稿執筆に移った。昨夜ラフに書いたメモを元に、文章を整理した。こちらも完成度は50%か。
どちらも明日で完成させる。締め切りだし。
6月30日(日)「仕事は終わらない・・・の風さん」
今日が締め切りの原稿というのは、咸臨丸子孫の会の記念誌用原稿である。任意で各自が思い出を語ることになる。私は子孫ではなく特別会員だが、会に入れてもらっているので、その感謝の気持ちで投稿する。実際には、ユーレイ会員ではなく、色々な形で咸臨丸子孫の会に関わっている。近年、最大の関りは、小野友五郎を伝えてゆく会の支援だ。技術者として小野友五郎に惚れ込んだ私は、何とか小野友五郎の顕彰をしたい。幸い、友五郎の出身地である茨城県笠間市で顕彰会が発足した。私もお手伝いしているので、今回の投稿にそれを書きたかった。
午前中でほぼ仕上がったので、午後、最後の推敲を加えてメールで事務局へ送った。
顕彰会が小野友五郎を伝えてゆく会として発足したこともあって、拙著『怒濤逆巻くも』の復刊がほぼ確定し、そのゲラ校正の締め切りも今日だった。
今日は朝から下巻の校正に取り組んだのだが、やや修正部分が多くて時間を要した。
午前零時をまわって半分くらいしかできておらず、徹夜しても残り半分は無理だったので、昨日までにできた上巻の校正ゲラだけメールで送り、下巻は明日中に完成させたいと書いた。
どこまでいっても楽にならないのは、仕事がのろいせいだと思うが、とにかく仕事があるということは幸せなことだ。
2024年7月はここ
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